おっさんから悩める青年へ贈るメッセージ
社会に出て数年、学生時代とは違う環境に慣れるまでは時間が掛かる
上司とウマが合わない、仲間と仲良く出来ない、仕事がハード過ぎる、体調万全を維持出来ない、ヤル気が出ない、理不尽な扱いを受ける、パワハラセクハラ、不本意な付き合い、給料が安過ぎ、休みが少ない、嫌な先輩がいる、ただダルイ、未来が見えない、後輩も言う事聞かない、責任を押し付けられる、手柄を横取りされる、月曜日マジでブルー、辞めたい、出会いもない、飲み会の誘いウザい、毎日がシンドい、、、。
その時代特有の悩みもあれば昔から変わらない悩みもある
おっさんだって若い頃は大いに悩んだ
悩むというのは成長の過程で必要なことなのだ、悩まない人間はいない
個性が生み出す悩みもあれば環境のせいで起きる悩みもある、時代が生み出す悩み、打ち込むからこそぶつかる悩み
悩んだときにどう対処するか、それによって結果も当然変わる
無かった事にするのは簡単だが、同じ問題は繰り返すものだ
問題が起きるのは避けられなくても、自分のリアクションは変えられる
おっさんも若い頃は、一人で悩むことが多かった
誰にも相談出来ずに悶々とした
仲の良い友達がいなかったということもあるが、誰かに自分の弱さを晒すのが怖かったのだ
内向的、内省的、自分の中でグルグルしてばかりいた
ある時、入って間もない会社の同僚達が社内で今夜飲みに行く話をしていた『皆であの店行ってみようぜ!』
7~8人、割と仕事の合間にも気軽に会話する同士だったので、直接自分に話しかけてなくても、勝手に自分も参加するつもりになっていた
その晩、自分の仕事が少し押していつの間にか同僚たちはいなくなっていた
『あれ? 何処の店に飲みに行ったのだろう? 聞いてないや。。。。』
途方に暮れて『う~ん。。。』と悩んだところで答えは見つからない
今のような携帯電話など誰も持っていない時代だから、連絡の取りようがない
仕方なくトボトボと駅に向かって歩き始めた
普段なら歩いて駅まで10分とかからないが、この時は頭の中で色々考えながらの重い足取り、いつもの倍はかかった気がする
『何で誘われなかったのだろう? 何か嫌われることしたかなぁ? 思い当たらない 何でだろう?』
『俺誘っても面白くないからかなぁ 皆んなより少し歳上だから付き合いにくいのかなぁ』
答えは出ない、駅のホームに着いても、そのまま電話に乗る気にならなかったのでホームのベンチに腰を落とした
『今頃皆んな楽しく飲んでるのかなぁ』そう思うと悲しい気持ちになった
目の前の新橋の飲み屋街のネオンを見ながら、俺何してんのかな、って、このまま座っててもしょうがないな、って、立ち上がったものの
滑り込んできた電車に乗るかどうか迷った
でも、何が起きてるのか分からないまま帰るより、もう一度会社に戻って誰かに聞いたほうがいいような気がしてきた
もう誰も会社にいないかもしれないが、とにかく最後の悪あがきをして自分を納得させたかった
さっき歩いた駅までの道を逆に歩いて会社に戻った
誰もいないと勝手に思い込んだままドアを開けると、
そこには同僚の一人がいて、俺を見るなり『トリ! 何処行ってたんだよ待ってるのに!』と即座に言われた
聞くと同僚は私に居酒屋の場所を伝えたつもりだったようだ、お互いの勘違いだった
それで一気に気分が上がって皆と合流して気の済むまで飲んだ
それからというもの何度もそのエピソードが思い出される
ネガティブな思いをしたときに、『もしかしたら自分の思い過ごしかも、勘違いしてるだけかも』と、別のリアクションが取れる可能性を考えるようになった
他の人からしたら些細な事のようだが、自分にとっては大事なことだった
もちろんその一件だけで劇的に変わったわけでは無いが、それからというもの、『選択肢は無数にある、自分次第なのだ』という思いを強めるような情報を繰り返し集めていた気がする
少年時代に内向的で社交性に乏しかった私は、次第に人との関わりに意欲を増すようになっていった
十代の頃の自分なら、まさかおっさんになって見知らぬ人にレンタルされようとするなど、想像も出来なかっただろう
とは言え今は社交的なのか?と問われれば決してそうでもない
性格は変わってないと思うし、変える必要も無い
しかし決定的に少年時代との違いがあるなら、得意ではないながらも人間関係を楽しむ事が出来ていることだ
むしろ朴訥である、と自家製の味噌を作っているようだ
だから青年よ、案ずる事は無い、いずれおっさんになるまでには、苦手な事さえも楽しめるようになる
その時には、是非おっさんレンタルの後輩になっておくれ